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◆高校時代・同人誌「パルセウス」第三号 1988.04.08◆
ある電車での出来事
ある日、久しぶりに電車に乗る機会があった。十一時頃だったので乗る人は少なく、僕と同じシートに子供連れの家族と向かい側には友人同士だったと思うが二〜三人の中学生くらいの女の子がすわって話していた。その他には離れたところに数人の人が乗っていた。
僕が乗っていくつめの駅だっただろうか、母親に連れられて一人の少年がこの車両にのってきた。ふと見るとその少年は俗にいう身体障害者だった。何という病気なのか僕には知識がないのでよくわからないが、彼の目はどこを見ているのかわからず、時々奇声を発していた。誰が見ても正常ではないということがわかった。
しばらくして僕の心配していた事態がおこった。その中学生の女の子と隣に座っていた家族の子供達の視線が一斉にその少年に注がれたのだ。ひそひそ話が僕の耳に入る。
「ねぇお母さん、あの人どうしたの?」
「あの人はね、病気なの。かわいそうね」
「ねぇねぇ、なんかかわいそうだと思わない?私、自分だと思うとぞっとするわ」
その時、僕はこの少女たちに、そして家族に激しい怒りを感じた。理由はいくつかある。一つはその視線である。僕は彼女たちの視線・目つきから彼に対する同情の気持ちを読み取ることができなかった。興味本位からくるものを感じたのだ。ホラー映画を見ている時と大差なかった。そしてもう一つはあまりにも軽薄につかわれる「かわいそう」という言葉だった。人の不幸をあわれむ、人を同情するというのは非常に勇気のいる行為である。彼の苦しみを知り、彼と同じ悲しみを感じ、彼と自分を接近させ、二人の間に接点が生まれることによって初めて同情心は生まれる。彼女たちにはそんな心はなかった。彼女らの根底にあるものは好奇心と自分ではなかったという安堵感だった。その他にも理由はあったがともかく僕は彼女らとその家族に対して怒り、そして軽蔑した。
しかし次の瞬間、僕は新たな怒りと軽蔑を感じた。それは自分自身に対してだった。何て自分は愚かだったのだろう。自分が彼ら以下の人間であることを悟った。僕は気付かぬうちに自分を「優しい人間」にしたてあげていたのだ。身体障害者のことを考え、彼らに真の同情を与えることができるのは自分だととんでもない思い込みをしてしまっていた。
僕は彼のために何かをやっただろうか?彼が住みやすくなるようよい街をつくろうと何か努力してきただろうか?僕もやはり彼を自己満足のために利用しただけだった。自分が女子中学生や家族より身体障害者のことを考えていると思い、それを確認するためだけに彼の存在は僕にとって意味があったのだ。僕は電車の中で赤面してしまった。
それからしばらくして僕は電車を降りた。彼にもう会うことはないだろう。結局僕は彼に何もしてやれなかった。ただ利用しただけだった。
僕はこの出来事の中で他人(身体障害者に限らず)を思うことの難しさを感じないわけにはいかなかった。心底相手のことを思うというのはたやすいことではない。相手を思っているふりは簡単にできるだろう。しかしそんなことをしたところで何になるだろうか。そこに残るのは自己満足か自己嫌悪くらいのものである。
だから僕は人に優しくしない。自分のそれが偽者であると知っているから。
こんな結論に帰着してしまうのはやはり僕が優しくない人間だからなのだろうか?
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