| Essay |
◆高校時代・同人誌「パルセウス」第四号 1988.07.01◆
正統派抵抗家
先日、僕はバイクを買った。学校には乗っていけないので、家に帰ってからあちこち乗りまわしているが、これがなかなかいい気分転換になる。夜中勉強していて眠くなった時に、海へ行って月明かりを見たりしている。
ところで、バイクに乗ることはある意味では社会に挑戦状をたたきつけたことになる。今回はそのことについて紹介し、自分の考えを書きたい。
「三ない運動」と言って、「高校生に免許をとらせない・バイクを買わない・乗らせない」だったと思うが、今全国の高等学校やPTAの間で盛り上がっている運動がある。問題をすべて規則・規制で解決しようとする社会の風潮に強い反感を持っていた僕(というより我が家族)はこの度この運動と真っ向から対決することになった。
自分の考えを書く前にまず確認しておきたいのは、高校生にバイクに乗る資格はあるということである。理由は言うまでもなく、法律で認められているからだ。それにもかかわらず「三ない運動」がおこり、バイクを禁止している学校が多数あるのはなぜだろうか。これは明らかにことなかれ主義の現在の学校教育の体質と、事故をおこしはしないだろうかと不安で不安でどうしようもないといった子離れのできない親との間の利害の一致により生まれた産物である。
教育という現場で絶対的な権力をもつ教師と法律的に親権をもつ親が手を結び、子供を自分の監督下におくとき、子供はまさに悲劇である。そんな中でほとんどの子供は自分の主張・表現のすべを失い、ある者は学校嫌いになり、ある者は無気力になり、そしてある者は、なぜか親も反対しない勉強に狂ったように打ち込むようになる。だがそんな中で、一部の少年は、この誰もが無理だと考えるこの巨大な城壁を破壊しようと試みる。それが「不良少年」である。しかし、そんな彼らですら反社会的なものとして、二度とたちなおれなくなるまで追い詰められ社会からは抹殺されてゆくのだ。
今の社会に必要なものは禁止ではない。大きな心を持った大人であり、その大人と子供との信頼関係である。高校生とは、「一人歩きできる子供」なのだ。危険だからといって何でも禁止すれば、必ずその副作用が生まれる。例えば、親と口をきかなくなるとか教師を殴るとか、反社会的行為に走るといったものである。すると、「子供が何を考えているのか分からない」などと言って悩む親や教師がでてくる。身から出たさびと言おうか自業自得と言おうか。しかし、そういう者にかぎって原因を他に押し付けたがる。子供が話さないからだとか忙しくて子供にかまっていられないとか言うのだ。「話さない」のではなく「話せない」子供を理解する姿勢が必要だと思う。それでも高校生が「一人歩きできる子供」であることを認めようとしない人は多数いる。だから、僕はバイクで事故を起こさずに、それを証明するつもりでいる。そして、すべての高校生免許取得者に言いたい。あなたが事故を起こさないことは、正統な「社会への抵抗」であると。
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