essay index
◆高校時代・同人誌「パルセウス」第五号 1988.09◆
優しさについて
僕は創刊号から何回か「優しい人間」ということについて触れてきた。今回は、これをメインテーマにして考えてみたいと思う。本当は、僕なんかに優しさを語る資格はない。しかし、そんなことを言っていたら、世の中に資格のある者が何人いるだろうか?
僕は世の中にある偽りとしか思えない「優しさ」がどうしても気になる。そしてかといって「本当の優しさ」などにはとても手がとどきそうもない自分に歯がゆさを感じるのだ。
少し前おきが長くなった。本文に入りたいと思う。
1.泣くこと
僕が決心していることの一つに「決して人前では泣かない」というものがある。どんなに悲しい思いをしても泣いて人の同情はもらうまいと心に決めている。これを書くと、やはりかなりの反発にあう。「別に同情されようと思って泣くわけじゃない。」とか、「笑いたいときは笑うのに、泣きたいとこいに泣いてなぜ悪い。」とかいったものだ。そこで、彼らにわかってもらえるように(そんなことは不可能であるが)僕がこのような決心をしたきっかけから書いていきたいと思う。
僕は、小学生の時、よく女の子を泣かせてしまった。「よく」というのは、多少オーバーな表現なので、「たまに」としておこう。僕は、姉との二人姉弟なので、ケンカをしても暴力はふるわない。ところが、母の教育のおかげ(?)で口げんかにはめっぽう強く、それで泣かせてしまうのだった。すると、それまでどっちが勝つか負けるかを楽しそうに観戦していた観客が、その瞬間に——なぜか全員が僕の敵となった。「あーあ保苅君謝りな!!」、「ひどい、○○ちゃんかわいそー。」(なぜかこういった時に僕を徹底的に批難するのは女性が多かった。)などと言われ、僕は彼女に謝らなければならないはめになった。また、女性を泣かせたことでひどい自己嫌悪におちいった。こんなひどいことがあっていいのだろうか?彼女が泣き出す前は確かに僕らは対等だったのだ。ところが、彼女が泣き出したとたんに…彼女は善人、僕は悪人である。もしもこれが逆だったら…。そんな思いをした少年時代を経て、いつしか僕は泣いている人間を軽蔑するようになった。そして、泣き出したとたんにその人にいい顔をする周囲の人も軽蔑した。男が泣くよりも女が泣くのを時には嫌った。男女平等意識は世の中の男よりもあるつもりである。それだけに「女の特権」のように泣くのが許せなかった。そして、たとえ同情されるつもりはなくとも、泣けば必ずその人に同情がいく。この不思議な現象を僕は、やはり人間の偽りの優しさなのではないかと思うようになった。では、本当に優しいひとだったらどうしたであろうか。
たぶん泣いた彼女だけでなく、僕にも同情してくれただろう。相手を泣かせたことで周囲の人から非難され、不本意ながら彼女に謝り、そして自己嫌悪におちいる僕にも同情してくれたはずだ。そして同情だけではない僕に愛(アガペーの愛)を与えてくれたのではないだろうか。残念ながらそういう人は一人もいなかった。
えらそうなことを書いてはいるが、僕は今だに優しさを定義づけられない。今書いたのは、ほんの一例に対する自分の考えでしかないのでとても普遍的なものだとはいえない。それでもなお、「偽りの優しさ」を感覚的に感じられるものがあると、それを嫌ってしまうのだ。
2.アフリカの飢餓救済
先日、毎年恒例となった「24時間テレビ愛は地球を救う」があった。こういうのを見ると、ひた隠しに隠している偽りの優しさが、僕にも表れてくるのでそれが恐いばかりに意識的に見るのを避けた。募金、ボランティアについては、2号「ボランティア反対」で書いたので、ここでは触れないでおくが、「優しさ」のテーマで書いているこの文章の中で海外援助について書こうと思ったので、多少かかわってくるかもしれない。僕がここでとりあげたいのは、ある(日本人ではない)牧師が言った言葉である。(あらかじめことわっておくが、僕はキリスト教徒ではない。)その牧師が言うには、「アフリカなどの難民に医療設備を送るのもよいでしょう。井戸をつくるのに協力するのもおおいに結構ですしかし、食べ物だけは彼らに与えてはいけません。」と言った言葉がそのままではないが、とにかくこのような内容のことを言ったのである。
こんなにも優しい言葉があるだろうか?牧師は、貧しい者、弱い者はたすけなければならないと言っているが、その傍ら人間の尊厳だけは失うことがないように警告しているのだ。人に食べ物を乞うというのは、人がまさに人としての理性を捨てたときにできることである。人としての尊厳を失わせることが決して優しい行為ではないことをこの牧師は知っているのである。しかし、日本でこのようなことを言えば、どうなるであろうか?きっと彼は、「飢えた人に食べ物を与えるなとはケシカラン」と言われ、マスコミや世論にさんざんにたたかれたことであろう。
事実今、エチオピアなどでは、キャンプにさえいれば働かなくても食っていけるというので、食べて寝るだけの乞食の生活をして、全く働く意志のない者が多数いるのだ。ここでも「偽りの優しさ」が、彼らのような人間をつくってしまったと思うと、本当に何が善で何が悪なのか、そして何が優しさなのか、つくづく分からなくなってしまう。
最後にこれさえ言っておけば誰からも嫌われず、優しい人だと思われる言葉——それゆえに僕は絶対に言うまいと決めている言葉を三つ挙げておく。みなさんは口にしたことがあるだろうか?
「戦争反対」
「公害反対」
「人の生命は地球よりも重い」
どれをとっても僕にいわせれば「偽り」なのである。
info@hokariminoru.org
Copyright © Minoru Hokari, All rights reserved.