第三回:砂漠を走る、孤独とつきあう
: 掲載コラム(2003.07.01)
一般的に、孤独は不健康でよくないことと考えられているようだ。「〈人〉という漢字を見れば分かるように、人は互いに支えあってこそ人なのです。」昔、学校の先生がそんな説明をした。なんだかウソ臭いな、外国にはいろんな文字があるはずだけどな、と思った。
孤独は、確かにつらい。特に自分の意思とは無関係に、たった一人の状況に追い込まれたときの寂しさは、耐えがたいものがある。大切な人を失ったとき、いじめにあったとき、どこかに閉じ込められたとき。孤独は人を不安定にするし、心の病を引き起こしかねない。しかし、アンソニー・ストーという心理学者は、孤独には積極的な側面もあると指摘している。多くの芸術家や哲学者が、孤独の中で創造的な仕事を成し遂げてきた。問題は意志だ。孤独を選び取ること。
オーストラリア大陸の内陸部を何度も一人で行き来している。車の免許がなかった当初は、バイクで走っていた。最近は体力の限界と機材の重荷のために四WD車で移動することが多い。本格的な冒険なら隊を組織してグループ行動するのだろうが、僕の仕事は探検というほど大げさでもないので、たいてい一人である。炎天下の中、丸一日バイクや車を走らせる。まっすぐな道を何時間もただ黙って走り続けていると、気が遠くなって頭がおかしくなる(ように感じる)。そういえば何日も声を発していない。わざと声を出してみると、耳にコトバが聞こえてくる。あっ俺、ちゃんと喋ってるし、ちゃんと聞こえている。大丈夫ダイジョウブ。
ある夜、キャンプした場所からそれほど遠くないところに大規模なブッシュ・ファイアー(山火事)が起こった。燃えさかる炎の背後には、まばゆいまでの満月が浮かんでいる。オレンジ色に燃える大地と、立ち昇る黒煙の隙間に照り輝く月は、圧倒的な美しさで僕を混乱させた。「この眺めを誰かと共有したい」と切に思うが、もちろん誰もいない。火が迫ってきていたので多少の身の危険を感じてもよかったはずなのに、僕はたった一人でその光景にすっかり魅了され、立ち尽くしていた。
だが後になって思うのだが、もしあの時友人と一緒だったら、きっと「わー、きれいだねぇ。」とか「逃げたほうがいいんじゃない?」とかいう話をして、目の前で起こっている炎と月光の奇跡的な共奏を深く身体に刻み込むことができなかったのではないだろうか。自己を風景に完全に明け渡していた僕は、(あとで真剣に後悔したのだが)写真を撮ることすら忘れていたのだ。
立ち昇る煙のむこうから満月が僕を見下ろしていたあの数一〇分間のあいだだけ、僕は詩人になれていたのかもしれない。もちろん実際に詩を書くという意味ではなく、詩人的に風景とむかいあっていた、というほどの意味だが。孤独とつきあうことで、人は思いもよらない仕方で世界とつながることができる。毎日の暮らしに騒々しく追い立てられる日常生活のなかで、人はどのようにして、詩人的に生きる瞬間を確保してゆけるのだろうか。
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