アボリジニの大地




第六回:激流で溺れる : 掲載コラム(2003.07.22)


少年たちに釣りに行こうと誘われ、ワイワイと無邪気に四WD車に乗りこんだ。おめあての釣り場に着くには、その手前にある支流を一つ越えなければならない。しかし、この支流は水位があがりすぎていた。車を止めて、歩いて渡ることにする。荷物を頭の上に抱えて、ゆっくりと川に入る。流れが速いのでバランスを崩さないようにして渡りきった。胸までびしょびしょになったが、誰も気にしていない。今日も暑い。ほうっておけばそのうち乾くだろう。

この日はとりわけ大漁だった。バッグの中がフナやナマズでいっぱいになる。夕方、陽も暮れかかってきたので、もと来た道を歩いて車を止めた場所へむかう。だが、上流で降雨があったためだろうか、来たときには胸までだった支流は、とんでもない激流に変わっていた。「ダメだ、これは絶対渡れない。ここでキャンプして一晩明かそう。」と僕は提案したのだが、少年たちは聴き入れてくれない。「大丈夫、泳いで渡ろう。」無茶だと思ったが、さらに水量が増えたら今立っている中州全体が水没するかもしれない。少年たちが僕に尋ねる。「おまえ、泳げるよな?」もちろん、プールとか海とかでは泳いでいた。でも、こんな激流で、しかも水没した木々や岩がどこにあるか分かったものではない中を泳いだ経験などあるわけがない。

川幅は五〇メートルほどだ。普段は水が流れていないところなので、背の高い木の幹や枝が水流の上に顔をのぞかせている。飛び込み地点に着くと、少年たちは、そこから流れに身を任せるようにして泳ぎ、水面から出ている木々の幹や枝に捕まりながら、対岸まで渡るという。もし、幹を捕らえ損ねたりすれば、一気にはるか下流に流されてしまう。そんなことになったら、絶対に行方不明だ。実際、川に流されて帰らぬ人となったアボリジニや白人の話を何度も聞いていた。

僕はこのとき、初めて心の底からこのアボリジニの大地と精霊に助けを求めた。「僕は決して怪しい者ではありません、どうか、僕を安全に対岸まで運んでください。」何語でそう言ったのかは覚えていない。他に頼るものがないとき、命の危機にあっては、学問的で合理的な理性など吹き飛んでしまう。「アボリジニの信仰文化を尊重する」などといったきれいごとではまったくない。僕はリアルに、大地と精霊に救いを請うた。

激流に飛び込む。泳ぐ、というよりは、沈まないように無我夢中でもがく。遠くで少年たちの叫び声が聞こえたような気がする。「アブナイ!」木の幹に腹からぶつかった。激痛。朦朧とするが、まだ先がある。流れに押し流されそうになりながら必死に幹にしがみつき、次の中継地点を探す。再び飛び込む。もがき、流され、幹にぶつかり、しがみつく。恐怖と動揺で半泣きになりながらそれを四〜五回くり返し、ようやく川岸にたどり着いた。身体に力が入らない。全身がガクガクと震えている。体中の引っかき傷から血がにじんでいるが、とにかく助かったのだ。僕はこうして、生まれてはじめて命乞いを経験したのである。



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