アボリジニの大地




第八回:儀式に参加する (上) : 掲載コラム(2003.08.05)


不信心な両親のもとで育った。初詣に連れて行ってもらった記憶がない。家を新築したとき、祖母に強く言われて居間に神棚をつくったらしいのだが、母親は「神様はおばあちゃんの家に引越し中よ」などと言ってほったらかしにしていた。さすがにお盆では、親戚たちとお墓参りをした。まだ子供の頃、僕はこのお墓参りの最中に、〈先祖代々の墓〉を前にして、「これは生きている人間の自己満足だ」と言い放ち、親戚のひんしゅくを買ったことがある。もっとも父親にはこれが自慢だったらしく、「みのるは、賢い子だった」と今でもこのときの思い出話をすることがある。無神論、合理主義、近代主義、世俗主義、科学主義、なんと呼んでもいいが、我が家は、高度成長期とバブル期をへた新潟の、戦後日本の、極端なまでに典型的な近代家族だったのかもしれない。

アボリジニ社会における儀式の重要性について、話には聞いていた。だから、グリンジの村にも随分住み慣れてきていたのだが、儀式に参加したいと安易に申し出ることはしないでいた。そんなとき、長老の一人が僕の前に現れ、「おまえは、ここに暮らしてしばらくたつ。もうそろそろ儀式に参加してもよかろう」と言った。村から車で二〇分ほど走ったところに連れて行かれると、そこには成人男性だけに入場を許されている秘密の儀式会場があった。集まっていた大勢のアボリジニの人々が、僕の姿に目をとめる。「なぜよそ者がここに来るのだ?」という不穏な表情をする者もいたが、多くは「ようこそ!」と笑顔で合図を送ってくれた。日常生活から切り離された、もう一つのアボリジニの世界がそこにあった。

多くの日本人にとって、宗教的世界のリアルさほどピンとこないものもないかもしれない。日本で宗教を語ると、オカルトめいた怪しげな話と受けとられることが多い。そうでなければ、お盆や初詣のように、宗教的内実よりも昔からの習慣といった程度の役割しか与えられていない儀式が多い。だがグリンジ社会においては、それを遂行しなければ世界が正常に機能しなくなるという、深刻で具体的な必要のためにこそ儀式が行なわれている。

アボリジニの人々が執り行なう儀式にはたくさんの種類がある。動植物の数をバランスよく増やすための増殖儀礼、大人になるための成人儀礼、法を破った者に罰を加えるための儀式、子供の誕生を祝う儀式、お葬式など。儀式の多くは、男と女がそれぞれ別々に行ない、お互いに相手の儀式の内容を知ることも、見ることも許されない。だから、僕は女性の儀式を全く知らない。また男性の儀式には参加したが、その内容をここで紹介することも許されていない。儀式を通じて与えられる知識は、世界の起源に関わる重大な情報であり、そう簡単に不特定多数に開示するわけにはいかないのだ。

許された者だけが、許された場所で、世界存立の神秘の一部を知ることが許されるアボリジニ社会では、社会全体がもっている知識の総体を知る者はいないし、すべてを知ろうと望む者もいない。全体像を知ろうとする欲望は、アボリジニ社会とは無縁である。



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