第一〇回:砂漠で干上がる(上)
: 掲載コラム(2003.08.19)
はるか南方の砂漠のコミュニティーで、大きな儀式を準備中だという。今までにない大規模なものだと噂(うわさ)されるこの儀式について、村のあちこちで情報が飛び交っていた。よくよく聞いてみると、グリンジの長老たちは、ダグラグ村から千二百キロメートルほども南の砂漠の人々から、この大儀礼の招待を受けていた。
電話と四WD車の普及、特にトヨタ・ランドクルーザーの登場は、オーストラリアの辺境地帯に暮らす人々の生活に革命的な変化をもたらした。もちろん、それ以前にも英国製の四WD車があったが、高価なうえに故障が多く、一般庶民の生活にはあまり利用されていなかった。
辺境での暮らしの必需品として四WD車が普及するのは、ランドクルーザーの登場以降である。アボリジニ社会も例外ではない。
現金収入が少ないので、ふだんは質素な暮らしをしているが、何かの機会にまとまったお金が入ると、小額ならライフル銃、多額なら四WD車を購入する人が多い。もともとノマド(移動生活民)だったアボリジニ社会にとって、ランドクルーザーの登場は、自分たちの移動距離を飛躍的に増大させる画期的事件だった。これを「トヨタ=アボリジニ革命」と呼びたいくらいだ。実際ダグラグ村では、日産車でもフォード車でも、四WD車はすべてトヨタと呼ばれている。 オーストラリア北部に暮らすアボリジニの人々のあいだでは、「トヨタ」が四WD車を意味する普通名詞になった。
電話も画期的だった。長いあいだ、辺境に暮らす白人たちは自家発電の無線を使っていたが、アボリジニの人々が遠隔地と手軽に交信できるようになるのは、各コミュニティーに公衆電話が設置されるようになってからである。今ではコミュニティーの一角に、たいてい一台か二台の公衆電話がある。なぜかほとんど壊れているので、あまりあてにはできない。とはいえ、僕もこれで日本に国際電話をかけてみたことがある。ハエの襲来と戦いながら番号を押すと、受話器の向こうから日本語で「もしもし?」の声。
「あ、もしもし?俺だよ、おれ。いまね、オーストラリアのアボリジニの村から電話してるんだけどさ・・・。」
なんとも感慨深い。
千二百キロメートルも先にあるコミュニティーと連絡を取りあい、お互いを訪問して合同の儀式を行うことなど、電話と四WD車の普及なくしては考えられなかった。近代のテクノロジーは、アボリジニ社会の伝統を終焉(しゅうえん)させるどころか、むしろその爆発的な拡大を引き起こしたのだ。
「おまえもこの大儀礼の旅に参加するかい?」と誘われたとき、僕はグリンジの長老たちに心の底から感謝した。かれら自身もはじめて体験するような大掛かりな旅への参加が許されたのだ。車六台に分乗し、意気揚揚と南の砂漠へ向けて出発した。
僕が運転していたのは、一九八一年モデルの旧型ランドクルーザーだった。なけなしの奨学金を切り詰めて買ったのだ。おんぼろでも文句は言えない。途上にガソリンスタンドなどないので、ジェリー缶と呼ばれる容器に予備のガソリンを搭載して南方のタナマイ砂漠をひた走る。
昼間は車を走らせながらカントリーの歌を歌い、夜は焚(た)き火を囲んで予定されている儀礼の準備をする。
何度もタイヤが砂に埋まり、そのたびに皆で穴を掘り、車を押す。どうしても掘り起こせない車は、そこにほうっておいて、目的地に着いたら助けを呼ぶことにする。いったいいつになったら到着するのやらと、へとへとになっていたとき、ラジエーターに穴があいて冷却水が噴きだした。このままだとオーバーヒートして走れなくなる。
選択肢は二つだった。二十リットルほどの非常用水を冷却水に使い、目的地に到着することに賭けるか、そうでなければ、この非常用水を飲みながらここで助けが来るのを待つか。
うーん、まずい……。
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