第一二回:苦難の歴史
: 掲載コラム(2003.09.02)
ダグラグ村の人々に限らず、オーストラリア北部の辺境地域で出会ったアボリジニの人々は、感情にとても素直だった。大声で笑い、激しく怒り、わんわん泣く。そしてまた笑う。感情と言葉のあいだ、身体と頭のあいだが直結していて無駄がない。気持ちを正直に表現することは、決してはしたないことではないようだ。社会全体が、人々の感情の表出をなにごともなく受け入れている。人間は、笑うし、怒るし、泣くのだ。こんな当たり前のことを覆い隠す必要などない。それにしても、かれらはどうしてこうも〈まっすぐ〉なんだろう。深くまっすぐに生きる——なんと困難な道だろうと僕には思えてしまう。
白人が入植して以来の、オーストラリア先住民社会の歴史は悲惨である。大勢が虐殺された。ライフル銃で撃たれたり、毒殺されたりした。白人の持ち込んだ伝染病が蔓延して死んでいった者も多い。生き残った人々も、オーストラリア社会の最下層民として、長いあいだ差別と貧困に苦しんできた。白人オーストラリア社会は、長いあいだアボリジニの人々を「絶滅する運命にある劣等人種」と決めつけて自分たちの植民地化を正当化し、かれらの聖なる土地を奪い、労働力を使役し、貧困や人口減少には対策らしい対策をたててこなかった。二〇世紀になると、さすがにアボリジニの保護が深刻に叫ばれるようになる。だが、かれらを強引に西洋化・近代化しようとする同化政策が採用された結果、今度は伝統文化の抹殺が始まった。そんな同化政策が改めて批判され、アボリジニの人権、先住権、自己決定権などが政策に反映されるようになるのは、ようやく一九六〇年代以降のことである。とはいえ現在でも、アボリジニ社会の多くは、高い失業率、低い平均寿命、アルコール依存症の問題など、貧困層に特有の深刻な社会問題を抱えている。
僕がこれまで綴ってきたような、狩や儀式といった豊かな生命世界を維持しているアボリジニ社会は、こうした植民地主義の傷跡をもろに引きずっている社会でもある。自分たちの植民地経験を語るとき、アボリジニの長老たちは声を荒げる。ある長老は、祖母と母親の両方を目の前で殺されたという。まだ子供だった彼は、白人を怖がって泣いていた。この白人は、子供を泣きやませるよう母親を脅した。ますます怖がって泣き声をあげる子供の前で、白人は母親を殴り、蹴り、最後に銃殺した。死体は焼かれ、川に流されて、証拠は隠滅された。祖母も同じような運命だった。「わしはすべてを、自分の目で見たんだ。決して忘れない。白人は、ひどいことをしたもんだった!」老人は僕を見つめ、そう語った。
ダグラグ村から見える小さな丘がある。かつて、白人に追われたアボリジニの人々は、この丘に逃げ込んだ。すそ野を周回しながら、ライフルを撃ち続ける白人に対して、アボリジニたちは丘の上から槍を投げて応戦した。多数が死んだ。長老たちは、ライフルを構える白人の格好を真似しながら「やつらは、犬でも撃つかのようにわれわれを撃ち殺していった」と語った。
それでも、かれらは歪まない。長老たちは、まっすぐに怒った後に、まっすぐに笑う。「もうあんなことはあってはならない。おたがいに学びあって、一緒に暮らしてゆけばいい。その方がずっといい。」そう言って笑っている。
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