第一四回:ニュー・ジェネレーション
: 掲載コラム(2003.09.30)
アボリジニの文化や歴史を学ぼうとすると、どうしても長老たちとの付き合いが多くなる。しかし新しい時代を担ってゆくのは若者たちだ。アボリジニの若者たちの話をしよう。
ダグラグ村の若者たちは、自分たちを「ニュー・ジェネレーション(新しい世代)」と呼んでいる。伝統と近代化のはざまで、新しい道を模索している。成人儀礼を通過しない若者はいない。みな厳しい儀式をくぐりぬけて、アボリジニ社会の伝統を引き継いでいる。しかし、若者たちは西洋文化に敏感だ。例えばロック・ミュージックは、ダグラグ村だけでなく、アボリジニのコミュニティーではどこでも大人気だ。どの村にもいくつかのロックバンドがあり、年に数回野外ライブを行なっている。オーストラリア最北部アーネムランド出身のヨス・インディというバンドは、全国的に成功し、日本でもライブを行なったことがある。
ダグラグ村の若者とは、狩をつうじて一緒に過ごすことが多かった。狩や釣りの目的地に向って車を走らせているあいだ、老人たちだとカントリーの歌を歌うが、若者たちと一緒だとロックを歌うことが多い。一度日本のラップだといってブッダ・ブランドの「人間発電所」を歌って、大喝采をあびた。その後、少年少女に会うたびに、「ジャパニーのラップを歌ってくれ」と何度もせがまれて困った。
アボリジニの若者たちをめぐる環境は決してバラ色ではない。失業率は絶望的に高く、ドラッグやアルコール依存症は深刻だ。犯罪率も高い。老人たちの教えを守り、厳しい儀式を誠実に行なってゆくだけではつまらないと感じている若者がほとんどだ。かといって、白人社会で受け入れられるような教育をまじめに受けて西洋化したいわけでもない。将来が不透明だ。何をしてよいのか分からない。しかし溢れんばかりのエネルギーはある。セックス・ドラッグ・ロックンロールといえば格好いいかもしれないが、彼らの不確実な未来に対する苛立ちと、やり場のないエネルギーをひしひしと感じる。
そんなかれらに、「アボリジニの伝統文化を大切にして、あまり近代主義に呑み込まれないように」などと軽々しく言う気にはとてもなれない。僕が新潟での生活に苛立ちを感じ、めぐりめぐってアボリジニの大地に出会ったのも、結局は現状に満足できない切実な欲求があったからだ。彼らはかれらで、自分たちの道を模索するのは当然だ。
プリンスという米国の黒人ミュージシャンが、「ニュー・パワー・ジェネレーション(新しく力強い世代)」という歌をヒットさせたことがある。次のような歌詞だ。「・・・俺たちはニュー・パワー・ジェネレーション♪世界を変えたいんだ♪俺たちの邪魔をしているのはおまえだけ♪古くさい音楽、古くさい考え♪ああしろこうしろって言われるのには飽き飽きしてるんだ・・・」
僕は新潟を出て、アボリジニの生命の大地に出会った。生命の大地を出てゆこうとするアボリジニの若者たちは、これから何に出会ってゆくのだろう。ただ、僕が新潟を捨てたわけではないように、彼らにも生命の大地を捨てて欲しくないと願っている。
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