保苅 実 記念奨学基金 main page
花弁と、爆発 〜保苅 実の生
保苅実氏の歴史研究は爆発的なインパクトを持つものだった。だが同時に、彼の素晴らしい生き方そのもの—誠実で、情熱的で、戯れのセンスを誰とも分かち合った人生—も、一種の爆発を生み出し、深い印象を残したと言える。「保苅実記念奨学基金」は、彼のように自らの夢を追い求め、歴史に関する先住民の考え方についての洞察を、共に地球に住むあらゆる人々の間に広めていこうとする若者たちを支援するものである。
保苅氏は博士論文の締め括りの部分で、アカデミックに、つまり学界向けに「書くこと」について、尊敬する歴史学者の言葉を引用している。「書くということは、深い井戸に石を落として、水しぶきが聞こえるのを待っているかのようだ、と言ったことがある。だが友人は、それは違うと言う。彼によれば、書くということは、グランドキャニオンにバラの花弁を落とし、爆発を待っているようなものだ、と。」
保苅氏は、冒険心と創造性豊かな知性、そして柔軟で想像力あふれるスタイルを兼ね備えていた。一橋大学で経済学を学んでいた当時、彼はオーストラリア先住民の人々と共に暮らすことを夢見ていた。そして名のある奨学金を得てオーストラリアに留学した彼は、大変な努力を経て、グリンジの人々の間に分け入っていった。アウトバックの大地を延々と、ちっぽけなバイクで駆け抜けて。そうして彼は、この辺境の人々の歴史の語り方を理解する上での、エキサイティングな突破口を切り開いていったのだ。保苅氏は、グリンジの人々を通じて自分の夢が叶えられたことに、常に感嘆していた。
ひとりの幾分反抗的な青年として、保苅氏は日本社会から期待される典型的な人生設計を逃れる機会を歓迎した。才能ある若者として、彼は当初、いずれ経済学者かビジネスマンとなる人生を歩んでいた。しかし、まもなくそうした分野で財を成すよりも、砂漠の荒野に腰を下ろし、グリンジの師たちの言葉に尊敬の念を持って耳を傾け、彼らの言語を学び、長老たちと対等な立場で協働しあう、もっと自分らしい生き方を選んだのである。保苅氏は彼ら先住民たちを「歴史家仲間」と呼び、進んでオーストラリア北部の遠隔地に腰を据え、彼らの傍らで共に暮らした。宗教的信条を求めていたのではなく、むしろそれには懐疑的でさえあった保苅氏だが、グリンジの人々の儀式に招待され、権威ある哲学者や歴史家たちに教え導かれることに胸を躍らせた。
保苅氏の恩師のひとりは、親愛の情を込めて「ジミー爺さん」と呼ばれていた。保苅氏は闘病生活中、度々、彼にとって「一番の」先生だったこの老人の写真を見つめていた。彼自身が自分の使命の奥深さを理解する前から全てを知っていたように思われた、グリンジの老人の写真を。グリンジの人々は、保苅実という日本人の若者を喜んで迎え入れた。彼らは、保苅氏がグリンジの言い伝えやメッセージを日本へ、そしてその他のアジア諸国へ広めるように、彼らの国グリンジ・カントリーがこの青年を呼び寄せたものと信じていた。保苅氏は既にオーストラリア、日本の両国で創造性豊かな研究論文を発表しているが、この度彼の最初の単著「ラディカル・オーラル・ヒストリー —オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践」が日本で公刊され、世界中でも先ず日本語で読まれることは、極めて重要な意味を持つ。
明るいユーモアのセンスを持っていた保苅氏は、権威ある学者らであろうとグリンジの長老たちであろうと、どんな人々の間でも、誰にも好かれる人気者だった。自分の夢を実現させ、グリンジの人々の歴史を日本へ伝えるという使命を果たすことを決意した彼は、最後まで断固として、そして誠実に、正に亡くなる数日前まで執筆活動を続けたのである。
保苅氏は幾つもの言語を越えて、幾つもの文化を越えて、そして様々な歴史の流れを越えて、対話する術を学んだ。それでも彼は、戯れのセンスを、そして謙虚さを決して失わなかった。ここに「クロス・カルチュラライジング・ヒストリー —グリンジの歴史実践への旅」と題した彼の博士論文の、最後の一説を引用させてもらう。
僕はこれまで、読者の皆さんに宛てて長い手紙を書いてきたように感じている。僕はこの論文を通じて、クロス・カルチュラルな実践を行うことがいかに挑戦的で、しかし同時にいかに楽しいものであるかを、皆さんと分かち合いたかった。また、「ギャップ越しのコミュニケーション」が、いかに不可能に見えてもやはり可能なのだということを伝えたかった。そして何よりも、グリンジ・カントリーからの教えを皆さんと分かち合うことができたなら、と思っている。今、僕はこの長い手紙を投函する。この論文が僕の手を離れて、読者の手に渡る時、(僕が尊敬してやまない歴史学者グレグ・デニングの言葉を借りれば)「この瞬間、書き手は弱い立場に立たされる。」
読者がグリンジの歴史的現実のフレームワークを完全に受け入れるか(それが可能であると考えるなら)、或いはきっぱりと拒絶するかは、読者次第である。もうひとつの選択肢は、僕がこの論文を通じて試みてきたように、「クロス・カルチュラル」である方法を見出そうとすることである。僕は、クロス・カルチュラルな実践を行うということは、その定義上、自らの文化的な枠組みを揺るがすリスクを免れない、と信じている。そうでなければ、どうしてそれを「クロス・カルチュラル」と呼ぶことができるだろう。
さて、僕もこうして、一枚の花弁を投げ込むことができた。
ゆっくりと爆発を待とうではないですか。
保苅 実
オーストラリア国立大学
アン・マックグラス教授
翻訳協力: 塩原良和・保苅由紀・内田恭子
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