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The Memorial Service for Minoru Hokari
in the Joyce Chapel,
at the Fawkner Crematorium and Memorial Park, Australia
(2004.05.12)



■ 司祭による追悼の言葉

では、このキャンドルに火を点しましょう。これは実さん自身が瞑想の際に使っていたキャンドルで、ここでのお別れに火を点すのにも相応しいと言えるでしょう。この4本のキャンドルに、彼が数多くの人々にもたらした温かみと光の象徴として、また、彼が今や苦しみから解き放たれ、安らかになったことの象徴として、火を点します。

私達は悲しみで一杯の心で、実さんの人生を称えるために集まりました。あなた方一人一人にとって、とても大切な人だった若者の生を。皆さんと共に歩む筈だった長い長い人生の第一歩を踏み出したばかりだったとも言える、若者の生を。世界中を探しても、今日私達が別れを告げる、彼のような人は他にはいません。しかし、彼はあなた方の思い出の中で生き続け、最早日常生活の一部ではないにせよ、彼があなた方に与えた影響、一人一人の人生において果たした役割を通じて、永遠に繋がっているのです。

死とは、生と同様に自然なものであり、永遠に朽ち果てないのは大自然だけです。そして生あるものにはすべて始まりと終わりがあります。人の生も誕生と死の間の時間枠に限られ、私達の人生の意義や功績は、その時間枠内で築かれます。これに対して、その永続性は、私達が人生を通じて出会った人々の思い出、そして私達が世に残す影響の中にあるのです。

死は、大切な人を亡くした人にとっては極めて個人的な重みを持ちます。私達はまた、誰の死にも、直接的に或いは間接的に繋がりを感じます。というのは私達は皆、人間社会の一員であり、誰一人として、それから独立して、或いは孤立して生きてはいないからです。それぞれ強い結び付き、弱い結び付きの差はあるでしょうが、一人一人が血縁、愛情、友情といった結び付きによって、または同じ町や国に住んでいること、或いは最も基本的な人間性という結び付きによって、他の皆と繋がっているのです。

同時に、個々の人生のかけがえのなさ、ユニークさのためにこそ、私達はその死を嘆くのであり、情愛を深く感じる人程、その悲嘆も深いことでしょう。どのような哲学も、どんなに客観的な思想であれ、人が人の死を悲しむという、極めて自然な心の反応を防ぐことはできません。悲嘆の本質的な要素として、心に亡き人への愛情があったからこそ、その死への悲しみがあるのです。

実さんは、その人生においてここまで素晴らしい友情を得たという意味で、幸福な人でした。彼はあなた方の優しさに応えて心を開き、そうして育まれた友情はすべて、深く、充実した、得るものの多い友情だったことでしょう。私達が今振り返る実さんの人生は、本当に並外れた人生でした。まだまだこれからという人生でした。彼は冒険心に溢れ、知識欲が誰よりも旺盛で、だからこそ短い人生でこれだけ大きな功績を残すことができたのです。彼は頭脳明晰で知力に富み、特に、研究を通じて強い結び付きを得たアボリジニの人々への理解は、極めて深いものでした。彼が読書や映画鑑賞が大好きで、また如何に音楽を愛したかは、皆さんも覚えているでしょう。彼のCDコレクションは、壁を半分埋め尽くしてしまう程大きかったと聞いています。彼はまた、美術鑑賞にも情熱的でギャラリーに通うなど、数え切れない程多くの趣味に、信じられないような多忙な毎日の中でも時間を割いていました。

彼は限りないエネルギーを、そして本当に数多くの人々にとって、誠実で献身的な友達であり続ける心の豊かさを持ち合わせていました。今日ここに集まった皆さんにとって、そして世界中に散っている友人達にとっても。彼は今時珍しく、まめに連絡を取る人でした。私達は時間がいくらあっても足りず、その気はあっても連絡を途絶えさせがちですが、大切な人達に、遠くからでも彼等のことを考えていることを伝えるという、難しいけれども何よりも大事なことを、彼は決して怠らなかったのです。

私は火曜日の午後、実さんのご両親、そして内田真弓さんとスティーブ・マシューズさんと会い、彼等の手を借りてこの追悼を書きました。私からは主に、彼の人生の大きな流れをお話ししたいと思います。実さんについてもっと個人的な思い出を分かち合いたい方が何人かいらっしゃるので、この追悼が終わってから、一人ずつ出てきて貰います。

勿論、人の一生を一言で言い表すことなどできません。できるのは、彼等が私達と共に過ごした時を思い起こさせてくれる、一握りの瞬間や横顔を垣間見ることくらいです。では、そうすることにしましょう。

1971年7月8日、日本北部の新潟市で保苅信男・桂子夫妻に男の子が産まれました。この子がいずれ、秀でた若者に育ち、将来数え切れない人々の心に、そして思考に、強い印象を残すことになるのです。実少年には由紀さんというお姉さんがあり、姉弟はこの海辺の町で、両親と友達に囲まれて幸せな子供時代を送りました。彼は最初はとても大人しく引っ込み思案でしたが、幼稚園に上がると間もなく外向性を発揮し、人気者となりました。彼は勉強好きでいつも学校が楽しみで、すぐに友達の間でリーダー的な存在となりました。誠実で信頼できる少年として、彼は他の生徒達に慕われ、先生達にも認められていました。そうした性格は年齢と共に強まり、彼は中学、そして高校でも生徒会長に選ばれました。実さんは誰からも良い模範として慕われ、そのしっかりした人格から、優秀な若者になるのは見えていました。

実少年の楽しみの一つは釣りでした。彼は何時間も一人で釣り糸を垂れているのが好きで、しかも釣りは単なる趣味ではなく、リラックスする時間でもありました。彼はまた、自転車を乗り回すのが好きで、田舎道を行ったり来たりして何時間も帰って来ないものでした。ある時など、一人でフェリーで2時間も離れた佐渡島へ渡り、まだ12歳か13歳なのに、一人で島の周りをぐるぐる乗り回し、またフェリーに乗って帰って来ました。叱られることもありましたが、それでもやりたいことをやる子でした。年端の行かない子供にしては大人しく物分りが良いと見なされていましたが、常に新しい挑戦を求めて、自ら次々と難しい課題を課していました。彼は素晴らしい冒険心の持ち主で、後に遠い国へ渡ることになったのもそのためでしょう。

実さんは18歳の時、両親の元を離れて東京の大学へ進学しました。そこで経済学と人類学を学んだのですが、暫くして専門を歴史学に変えました。歴史学は彼が以前から非常に興味のあった分野でした。これがきっかけで彼は1996年、オーストラリアへ留学し、アボリジニの歴史と文化への関心を深めることになりました。その後間もなく、彼はグリンジの人々の間に受け入れられ、そこで博士論文に向けて、広く研究を行うことができたのです。

実さんは(グリンジの)人々を心から尊敬しており、暫くの間、殆ど彼等の一人として生活していた程です。人々は完全に彼を信用し、慕っていたに違いありません。そうでなければあそこまで受け入れられ、部族の一員として扱われるという高い特権は与えられなかったでしょう。1997年時点では、実さんはオーストラリア北部を縦横無尽に旅し、アボリジニの人々の言語、文化、そしてしきたりを学んでおり、研究論文を様々な雑誌や学会誌に発表していました。彼はそうした旅や観察・研究について大量の執筆を残しており、きっと数冊の本を出版するのに十分と思われる程です。

しかし、実さんの最大の美徳の一つは、彼が出会った本当に多数の人達の一人一人と、強く献身的な友情を結べる心の豊かさを持っていたことでした。彼は時間も愛情も決して惜しまない、優しい、真の友であり、話し相手でした。実さんはどんな頼み事にも嫌な顔一つせず、誰にでも支えの手を差し伸べました。

悲劇的なことに、彼は昨年7月病に倒れ、最後まで全力を振り絞って病と闘ったにも拘らず、回復する運命にはありませんでした。ご両親が看病のためにオーストラリアへいらっしゃった他、誰にも望めないような素晴らしい友人達に囲まれての闘病生活でした。ご両親は、彼がどれだけ多くの人にそれはそれは大切な友達として愛されていたかを見て、言葉に詰まったそうです。そして、オーストラリア各地から、更には世界各国から、お見舞いのカードや電子メール、手紙が届き、電話がかかってきました。ニューヨークに住んでいる由紀さんも、弟さんの看病に駆け付けました。そして実さんは、如何にも彼らしく、病院のベッドの上でさえ、著書の原稿の仕上げ作業を続けたのです。彼は月曜日の午前12時45分、聖ヴィンセント・ホスピスで、威厳を持って、そして安らかに、永眠しました。彼の家族、そして友達に代わって、彼の最後の日々を通じて看護をして下さった医師、そして看護スタッフの皆さんに感謝の意を伝えたいと思います。

彼は立派な若者でした。数多くの、数え切れない程多くの人達にとって、心優しく、愛情豊かな友でした。彼があなた方一人一人を如何に大切に思っていたかは、ご存じのことと思います。だからこそ、皆さんは今日ここにいらっしゃるのです。彼の死は本当に深く悼まれますが、彼はいつまでも、決して忘れられることはないでしょう。



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