:: ミノのオーラル・ヒストリー ::
ピーター・リードと保苅実 - Side A




リード: では始めようか。

保苅: ええ、どうぞ。

リード: (2002年)12月19日年ピーター・リード、ミノ・ホカリとの談話。 ピーター・リード宅のキッチンでのインタビュー。まず最初に少し自分のことを話して 貰えるかな。ミノ、君はどんな養育を受けた?日本では標準的な、普通の家庭で育った?

保苅: どういう意味で?

リード: 家庭環境とか、どんな教育を受けたかとか。日本でどんな少年時代を過ごした?

保苅: 新潟というところで生まれ育ちました。地方の町、否、地方都市と言えるかな。特に何と言うこともないところだけど、地理的には東京から北西400キ ロの、中国大陸に面した側、つまり東京とは反対側に位置しています。日本を西日本と東日本に分けた場合には東日本、つまり東京と同じ地域に 属し、別の分け方をすると、これは多少問題視すべき言い方なんだけど、「表日本」と裏日本」に分けた場合には「裏日本」と呼ばれる側。「裏」というのは必ずしも良くない 表現だけど、要するに東京とは反対側ということ。水田地帯だけど、僕は新潟県最大の都市で育ちました。

リード: お父さんの仕事は?

保苅: 父ですか?当時は銀行に勤めていましたが、今は退職して家でのんびりしてますよ。

リード:  日本には、他のアジア諸国に比べて伝統的な宗教がまだまだ生き残っているような印象を私は持っているんだが、本当はどうなのだろう?

保苅: なぜそう思うのですか?

リード: なぜかな。恐らく、アンテ・ダブロ(リードの友人でオーストラリア人彫刻家)が京都に行った時、そんなふうに感じたという話からだろう。何か…霊的なものが伝わって きたというような印象を受けた。

保苅: 面白いですね。僕はいつも、日本人以外の人に日本のスピリチュアリティ(霊性)や宗教について説明するのに苦労するんですよ。なぜなら、政治体制を見ると、一 方では日本人は極めて世俗主義的だから。世俗主義的といえばオーストラリアも世俗主義的だけど、アメリカに比べればかなりキリスト教重視の国でしょう。ところが日本では 、信心深いかどうか聞かれたら大半の日本人は「いいえ」と答えるというのが全般的な印象です。でも、オーストラリアでもそうかもしれない。

リード: 考えられるね。

保苅: ところが日本では、皆「いいえ」という一方で、宗教的な行事を見てみると、例えば初詣とか、大半の日本人が仏教の葬儀を行うとか、宗教的な面があって… …日本が(他国に比べて)より宗教的かどうか、簡単に比較できないんです。唯、先祖の霊が戻ってくる8月のお盆には、家族全員が集まって先祖代々の墓の前でお経を上げて貰ったりしますね。

リード: 8月に?

保苅: ええ、8月です。

リード: 中国で確か「餓鬼仏の夜」と呼ばれる行事と似ていない?

保苅: そうですか、それは僕は知らないな。

リード: いつだったかな、7月か8月に行われると思うのだが。突然亡くなった人や悲惨な死に方をした人の魂が往生できず亡霊となって徘徊するんだ。ある夜は先祖の霊を家に 招き入れて食べ物を供えておくんだが、そうした「餓鬼仏」や悪さをしかねないその他の亡霊は別の夜に来る。その夜は家の外に食べ物を供えておく。それはともかく、7月のその 夜(行われる宗教行事)が亡くなった人たちが最も近く感じられる時なんだ。

保苅: そう、お盆に実によく似ています。基本的に、亡き先祖の霊が皆家族の元へ戻って来る。

リード: 一晩限り?

保苅: お盆自体は三日間続くけど、霊が三日間ずっと戻って来ているかは僕も自信ないな。とにかく家族揃って先祖代々の墓へ出かけて、お坊さんがお寺から来てお経をあげる。近所の家でやってました。

リード: そう。君の家族もその行事を行ったの?

保苅: ええっと、日本の家族構成を説明する必要がありますね。僕の父は次男で、家というか広い意味での家、家族を継ぐのは長男なので、法事を取り仕切るのも長男の役目なんです。僕の両親と家族はいつも、そうして決められた行事に集まった。そういうことです。

リード: なるほど。ということは、君の伯父が「こうする」と言えば皆それに従ったわけだ。それで、家族がそうした宗教行事を行った際には君も参加した?

保苅: ええ。

リード:  「なぜこんなことをするのか分からない」とか「こんなことしたくない」といったコメントは出なかった?皆が真面目に受け止めていた?

保苅: 少なくとも長男である伯父は真剣でした。…時々、スローダウンして(言いたいことを)考え直しても良いですか?これは面白い発見だ、僕にとってはアボリジニ文化について語るよりも日本文化について語る方が難しいかもしれない。

リード: 私がいずれ聞きたいのは、日本での培われたものが(アボリジニ文化に対する)君の反応にどう影響したか、なのだが。

保苅: ええ、解ります。両親は基本的に無神論主義だと言います。

リード: 無神論主義。

保苅: そう、無神論主義。だから僕は無神論の家庭で育ったわけだ。例えば大抵の家には神棚、つまり小さな、何て言うんだっけ、小さな…

リード: 神社?

保苅: そう、小さな小さな神社みたいなものがあります。両親は家を新築する時に、必要ないと言って神棚を置こうとしなかったんだけど、祖母がどうしてもと言うので、つまり神棚を置くのは大事だと強く言うので、最後には両親が折れて作ったんです。

リード: お母さん方、それともお父さん方の?

保苅: 父方の祖母です。お盆の法事の準備をするのも父方です。

リード: お祖母さんは信心深かったわけだ。それは興味深い。

保苅: ええ、祖母は亡くなりましたが、生前は非常に信心深い人で、毎日朝晩、お経をあげていた。僕はよく伯父の家で従兄弟と遊んでいたので、祖母がいつもお経をあげているのを見て育った。

リード: 君は当時、お祖母さんがあげていたお経の意味が解っていたのかな?

保苅: お経の意味?祖母自身解っていたのかどうか怪しいですよ。単にいずれかのお経を読み上げていただけです。僕の理解では、日本人は読経したとしても大半はその意味は解っていないと思うな。(内容が解って読んでいるというより)むしろ音読しているようなものでしょう。

リード: ディペッシュ・チャクラバルティから聞く話でも、ヒンズー教の祈祷の内容は、祈祷をあげている僧自身必ずしも正確には理解していないらしい。

保苅: そう、その通り、基本的には同じような状況です。

リード: お祖母さんに比べれば、君は宗教にある程度健全な距離を置いていたと言えるかな。

保苅: 両親は例の神棚を作ったものの、完全にほったらかしにしていました。時々、神様は伯父の家へ引っ越し中でここは単に仮住まい、みたいなことを冗談で言いましたが、それはあくまでも冗談で、神様は信じてはいませんでした。コンファレンスで発表した論文でも言及したけど、僕はある年、お盆の法事でお坊さんの読経の後で、 「これは生きている人間の自己満足だ。死んだ人間はもう存在しないじゃないか」といったことを言い放ったんです。

リード: 本当にそう言ったの?

保苅: そう言ったら、両親は大喜びで「この子は賢い子だ、頭の良い子だ」と褒めましたよ。

リード: でも、お祖母さんは喜ばなかっただろう。

保苅: ええ。まだ子供だったので他の人達の反応ははっきり憶えていないけど、親戚、遠戚のひんしゅくをかったのは確かだと思う。

リード: それはいくつの時だった?

保苅: いくつだったか両親に聞いてみないと分からないけど、5歳から7歳くらいだろうな。

リード: ふうん、私は16歳くらいの時かと思った。

保苅: いや、もっともっと幼い時ですよ。

リード: それで君は大きくなるにつれて、両親と同じ方向へ進んだ、それともお祖母さんと同じ方向へ?

保苅: 主に両親と同じ方向でしたね。(話を戻すと)この研究と関係あるかどうか分からないけど、最近思い出したことがあるんです。コンファレンス発表にこれも含めたかったんですが、時間制限のため取り上げられなかった。今の話と同じ頃、5歳から10歳の間、僕は夜空を見上げるのがとてつもなく怖かった。今でもその理由は説明できないけど、夜空に何か危険なもの、コントロールできないものがあるような気がして、夜空を見た後は寝付けなかった。夜空。他の人にも経験あることなのか知らないけど、両親にも話さなかったと思う。実際、僕自身長い長い間忘れていて、つい最近思い出した話なんです。きっかけは憶えていないけど、「そうだった、子供の頃、夜空を見上げるのが恐ろしく怖かった」と思い出し始めた。そしてその僕は、 「これは生きている人間の自己満足だ」と言い放ったのと同じ僕だった。

リード: なるほど。神道には何か、夜空を危険と見なすものがあるのかな。

保苅: ないと思う。あったとしても、僕の恐怖感は異なるものだと…

リード: そう。そして君は一種の合理主義、実証主義、不可知論主義を維持した?

保苅: ええ、どちらかというと…両親はそういうことに興味がなかったので、初詣に神社に連れて行って貰うこともなかった。強いて言えば、祖母が神社のお守りをくれた時、僕はそれを捨てたり馬鹿にしたりせず、運のために取っておいたと思う。でも「信心深いか」「それを信仰しているか」と聞かれたら、きっと「いいえ」と答えただろうな。

リード: 君は経済を学んだんだね。

保苅: ええ。

リード: どこの大学で?

保苅: 一橋大学です。

リード: それはどこにあるの?

保苅: 東京にある小さな国立大学です。主に経済学、商業学の分野が専門で、経済商業学部は知られているけど、人文学や宗教学ではそうでもないですね。

リード: 日本人は人文学やスピリチュアリティの分野ではあまり知られていないと言える?

保苅: ええ。唯一興味深いのは、オウム真理教という宗教団体が地下鉄サリン事件で毒ガスを使ったでしょう。

リード: うん、知っている。

保苅: とても興味深いことに、当時、日本のトップ2大学の東大と京大の学生にオウム真理教の信者が結構いて逮捕されたんです。ところが一橋にはひとりもいなかった。これは僕が出た大学がいかに世俗主義的だったかを表していると思う。

リード: なるほど。それで日本を出たのはいくつの時?

保苅: いくつの時に—?

リード: いくつだったと思う?

保苅: —日本を出たか?

リード: —そしてここへ来たのは。

保苅: 26歳?ちょっと待って、修士課程は終えていたわけだから22歳、24歳…。1996年だったから、僕は1971年生まれということは26歳?25、26歳でしょう。

リード: 学士号を取った後に修士課程へ?

保苅: ええ、日本で修士号を取りました。

リード: その後でここで暮らした。

保苅: ええ、そうです。

リード: 興味深いのは、例えばディペッシュのキャリアを辿ってみると、彼はヒンズー教の環境で育ったが寺院にはあまり行かなかった。距離を置こうとしていたんだね。その後マルクス主義者になるが、40歳になる頃には自問し始める。私も同じ経過を辿った。宗教を拒否する上ですべてを否定し過ぎ、大事なものまで捨てていたのではないか、と疑い始める。つまり地元の、その地域の日常生活に密着した神様には、(ディペッシュの場合)大学で学んだ普遍化されたマルクス主義からは得られない、そして私の場合西洋中心の社会科学的な世界観からは得られない何かがあるような気がしてくる。自分たちは何かを見落としたのではないか、何かが欠けているのではないか、と問い始めるんだ。だから今私が、そしてある意味ではディペッシュも経験しつつあるのは、20代の時に拒否したものに応えようとする過程だと思う。私たちの中にまだそれに応える可能性があり、今やっとそれを理解し始めたというところだろうか。そこで私が知りたいのは、君の中にどんな可能性があるかだ。大学では経済専攻の合理主義者、恐らくは実証主義者だった君の中には、どんな可能性が解き放たれるのを待っていたのだろう?それとも何もなかった?

保苅: もう少し明確に説明して貰えますか?面白い質問だけど、今ひとつ…

リード: 私はイングランド国教会の信者として育てられ、子供の頃は家族で教会に行っていた。何と言うのか忘れてしまったが、4歳から8歳くらいの時に入信する、つまり教会の一員になる一種の聖餐式みたいな儀式があるが、それもやった。ユダヤ教の成人式みたいなものだ。大学進学後も教会に通っていたが、21歳前後の時に、基本的にすべて嘘っぱちだと判断して教会を捨てたんだ。30年間そのままだった。今でもイングランド国教会の信者ではないが、以前に比べれば遥かに宗教に関したことに興味を持つようになったんだ。ではなぜ、今になって関心を持つようになったのか?答えは、恐らく1歳から15歳くらいまでの間に築かれた基盤があるからじゃないかと思う。それは既に切り捨てたものだと思っていたのだが、実は頭の隅に潜んでいて、今になって再び前面に出てきたのではないか。言い換えれば、20年間何も信じていなかったにも拘らず、そうした可能性、スピリチュアリティに対する可能性をずっと持っていたわけだ。そこで、君の中にはどんな可能性があったと思う?

保苅: 僕自身探ってみたいのは、なぜ最近になって子供時代の夜空に対する恐怖感を思い出したのか。なぜそれまで忘れていたのに今思い出したのか。はっきりした答えは出ていないけど、まずそれが一つ目です。二つ目は、さっき説明した通り、僕はこれまでずっと、つい最近まで無神論主義か極めて世俗主義だったということ。アボリジナルの歴史を研究し始めた時でさえ経済史の観点からスタートして、スピリチュアリティは問題にしていなかった。正直に言って、グリンジ・カントリーでの先生だったジミー・マンガヤリとの出会いが、彼がきっかけとなって…

まず、経済学に飽き飽きしていた頃、僕は特に人類学や歴史や哲学の本を読み漁るようになったんです。当時はスピリチュアリティに注目していたわけではないけど、間違いなくそれに向け ての第一歩だったと言えると思う。僕は何か、世間に期待されている以外の何か、当たり前と思われているのとは異なる考え方を求めていた。でも、その時は明確に、スピリチュアリティに ついて意識的に考えてはいなかった。でも東京にいて、そうした文化とは全く繋がりのない環境にあって、何故アボリジナル文化、そして歴史に強く惹かれたのか、それ以外に説明できない んです。それで僕自身、日本の神道の伝統を受け継いでいたと言ったら嘘になるでしょうね。そうは決して言えない。うん、面白いですね、大学で受けた教育からではなくて、学生時代にいろ いろな本を読み漁った結果、世界が広がったわけだ。なぜ僕がアボリジニ文化に強く惹かれたのか、いくつか理由を挙げてみることもできるけど、僕はオーストラリアへ渡り、ニューサウスウ ェールズ大学で博士課程を始めました。でもその時点でもまだ、焦点はスピリチュアリティじゃなかった。まだキーワードじゃなかった。僕はグリンジ・カントリーでの経験、グリンジ・カン トリーそのものを通じて、スピリチュアリティの問題と向き合わざるを得なくなったんです。彼らについて本を書くには、その問題を避けて通ることはできない—彼らはそういう言い方をしな かったけど、スピリチュアリティに向き合わなければ、彼らの歴史を書くことはできない、僕自身がそう感じたんです。

リード: 私の友人イアン・グリーンも同じことを発見したね。オーストラリア中央部とデイリー・リバー流域でフィールドワークをしたんだが、君と全く同じことを言っていた。ウェーブヒルのブッシュにいるとそれまで信じていたことが変わってくると。その通りのことを言っていた。

保苅: ええ、解ります。

リード: 君のオーストラリア先住民に対する関心は日本で芽生えたわけだ。

保苅: そうです。

リード: なぜウェーブヒルを選んだの?

保苅: なぜウェーブヒルか?最初はクィーンズランドを考えていたんですよ。クィーンズランドでリサーチをしたかったのは、ひとえにヘンリー・レイノルズの研究に没頭していたから。アボリジナル文化について学び始めたばかりの時で、まず最初にレイノルズの「国境の向こう側」を読まされるでしょう。ヘンリーは素晴らしい歴史家ですよね。それで、よし、クィーンズランドで研究しよう、と思った。ところが鈴木教授ご存じですよね、彼が、歴史に関心があるならグリンジのウェーブヒル牧場退去を見てみると良い、あれは興味深い話だ、と勧めたんです。それでウェーブヒルを調べて歴史を見てみた。

リード: 歴史的な観点から?あれは殆ど経済的な話ではないのかな。

保苅: ええ、その通りです。だから日本での修士論文の時点で既にグリンジの人々の歴史について書いていたんです。グリンジの人々の経済史だけど。

リード: なるほど、面白い。それでここへ来た当初の博士論文の草稿案も同様のアプローチだったわけだ。

保苅: そう…最初の草稿案は…いや、違います。博士課程に入った当初は、グリンジの歴史は止めて数地域の比較研究をしようと思っていたんです。ただ、オーストラリアでフィールドワークをしたかった。本を読むのにはうんざりしていたから。一日中古文図書を読んでばかりいるのが歴史家だとしたら、僕はある意味では性格的に歴史家に向いていないんです。あなたもそういう歴史家ではないでしょう。

リード: 私はブッシュに出かけているのが好きだ。

保苅: 僕はオーラル・ヒストリーをやりたかったのだけど、日本ではあまり人気がないというか、広く研究されていないんです。日本の歴史学は日本史、中国史、西洋史、という風に分かれていて、すべてが古文書、古文書ばかりでオーラル・ヒストリーには殆ど関心がない。僕はフィールドワークをやりたいのが理由でオーストラリアへ来たんだけど、それでも当初のテーマは半分くらい経済、巡回(ウォーカバウト)経済その他についてでした。そう、思い出した、巡回経済の歴史を研究するつもりだったんだ。経済史のフィールドワークをしたくて、グリンジの人々はひとつのオプションに過ぎなかった。でも以前話したと思うけど、リサーチャーとして僕を受け入れてくれるよう依頼の手紙を10のコミュニティに送った結果、7つからは返事がなく、2つには断られ、グリンジの人々だけが承諾してくれた。それで引き続きグリンジの歴史を研究することになったんです。

リード: 初めて行った時、デビー・ローズが行った時と同じように様々な場所を見せられ、その名を教えて貰った?

保苅: いや、そうでもなかったですね。初めて行った時、「何を学びたいのか」と聞かれて、「あなたがたの歴史と文化を学びたい」と答えたら「よし、解った」ということになって、言語から教えられました。例えば狩りに出かける時には誘ってくれて、(いろいろな場所を)紹介してくれたけど、「さあ、お前は来たばかりだから、これからカントリーのあちこちを見せて廻ってやる」というのはなかったですね。そういう案内はなかったな。

リード: でも折には文化を紹介してくれたんだね。

保苅: ええ。

リード: いずれはひとりで出かけられるところまで行った?ひとりで出かけるようになった?

保苅: セブン・マイル・クリークの一ヶ所だけです。あそこはいつも子供たちが泳ぎに行っているのを知っていたので、ひとりで出かけても心配ないことが分かっていたから。でも大抵は、99パーセントはどこへ行くにもアボリジニの友人達と一緒でした。

リード: そういう形で(カントリーに)紹介されるのは良かった?

保苅: ええ、とても。

リード: もしひとりで出かけた場合、ひとりでも自己紹介をしたのかな。カントリーの先祖たちに自分が何者かを思い出してもらうために挨拶した?

保苅: 面白いことに今ではどこへ行っても挨拶するんですよ。

リード: 本当?

保苅: ある意味でね。日本へ帰る飛行機の中で、グリンジ・カントリーに近い所を通る時、挨拶するんです。ほら、この方向から行くとあの辺でしょう。それに、キャンベラで先住民の人に会って以来、キャンベラを訪れる時も挨拶する。声に出してではなく、心の中でするんです。面白いですね、以前はグリンジ・カントリーでは挨拶していても、シドニーやキャンベラではあまり気にしていなかったけど、いろいろな人に出会ったりいろいろなことを経験したりするうちに、もっと広く挨拶するようになった。僕はそう感じていますね。

リード: (グリンジ・カントリーで)最初に出会った重要な人物は誰?

保苅: 勿論ジミー・マンガヤリです。彼は狭義ではグリンジではなくマルギンです。パトリック(マコンヴェル、人類学・言語学者)はマルギンをグリンジの一方言としていますが、彼自身はマルギンを自称していた。マルギン・ビリナラで、ダグラグ村に住んでいた人物です。

リード: 「マルギン」はどういう綴り?

保苅: M-a-l-g-i-nだと思うけど。

リード: ああ、なるほど。それで彼が君の主な教師となるんだね。彼は君を大地へ連れ出した?カントリーで彼から教わった?

保苅: 主にダグラグ村で教わりました。彼はあちこち移動するには歳を取り過ぎていたから。だから僕は若い人たち、つまり青年や一部の大人たちと狩りに出かけたけど、ジミーじいさんは年寄り過ぎたんです。大半はダグラグ村で過ごし、時々、ヤラリンへ行くくらいでした。ヤラリンには彼の親戚に会いに度々行っていました。ティンバー・クリークで会ったこともありましたね。ヤラリンかティンバー・クリークへ連れて行くよう頼まれると、大抵は行きましたね。

リード: 西洋文化的な確信が少しずつ崩れ始めたのはいつだったか憶えている?

保苅: どういう意味で?

リード: 自分が誰なのか、なぜ存在するのか、何が目的でそこにいるのかといったこと、君の世界観が揺らぎ始めた時があった?それまで築いてきた世界に対する確信が初めて揺らいだのはいつだった?

保苅: はっきりと憶えているのは、ジミーじいさんに「お前はなぜここにやってきたのか知ってるのかね?」と聞かれた時です。何回か聞かれたんですが、一回は録音したので後で見せられるけど、今憶えている限りでは、僕は「(アボリジニの)歴史と文化を学ぶためです」と答えた。すると彼は「カントリーがお前をここに呼んだんだよ」と言う。「僕、聞こえなかったけど…カントリーに呼ばれたなんて憶えてないけど…」と言うと、ジミーじいさんは僕の頭を指して「それはお前の記憶、お前の感性が死んでいるからだ。ここでそれらを目覚めさせないといけない。目覚めろ!そのためにここにいるんだ」と言うんです。それが一つ。他にもそういう瞬間はあるだろうけど、(スピリチュアリティと)向き合わなければならないことを実感した、強烈な瞬間でした。博士号のためのリサーチだけではなくて、理解し、コミュニケーションするには世界観を変えなければならないのだということを実感しました。あの時のことは何度も思い出します。村の売店の近くに座っていたことまで憶えています。

その他には、川で溺れかけた時がありますね。どうしてもその川を渡らなければ車を止めたところまで戻れないという状況で、ものすごい激流で、僕は渡り方を知らなかった んです。アボリジニの少年たちと釣りに行った帰りで、彼らは「お前、泳げるよな?」と聞いてくる。勿論プールでは泳いでいたけど、こんな激流を泳いだ経験なんかあるわ けない。でも他にどうしようもなかったんです。皆が対岸へ泳ぎ着いたのに、ひとりでそこに留まっているわけにもいかない。それで飛び込んだんです、もう死に物狂いで木 の枝に捕まろうとしながら。川を泳いで渡ったことありますか?とにかく水に飛び込む前に、カントリーに助けを求めました。命乞いをしたんです。その時僕は真剣だった。 「アボリジニの信仰文化を尊重する」といったきれいごとじゃ全然なかった。真剣に、リアルに、カントリーに命を救ってくれるよう請うたんです。

リード: そして(カントリーは)助けてくれた。

保苅: ええ。

リード: その時点では、(グリンジ・カントリーに)どのくらい滞在していたの?

保苅: 雨が降っていたということは夏だったから…リサーチを始めたのは6月か7月から滞在していたから、6ヵ月くらいですか。

リード: 6ヵ月前後だね。それで、ジミーじいさんがなぜ君がそこにやって来たのか聞いて、君に答えを教えてくれたのはいつだった?その前のこと?

保苅: 正確には思い出せないけど、4ヵ月から6ヵ月くらいだと思う。3ヵ月過ぎると、初めての儀式に招待されました。もう十分長くここに暮らしていると言って儀 式に招待してくれたんです。いずれにしても冬はあまり頻繁に儀式がないので、それが大きな理由だったのかどうかは確かじゃないけど。とにかく「お前は、ここに暮 らしてもうしばらく経つ。もう儀式に参加してもよかろう」と言われ、成人男性だけの儀式会場に連れて行かれて儀式のすべてに参加しました。でもその時でさえ、ス ピリチュアリティの面ではさほど強い印象を受けたわけではなかったような気がします。(儀式に招待されたことを)それは大変名誉に思ったし、人々が僕を信用して くれたことをありがたく思ったけど。彼らがようやく僕に秘密の世界、それについて書くことは許されていないけど、その秘密の世界に触れる第一歩を許してくれたこと はものすごい名誉でした。同時に、ものすごく多くを学ぶ機会だった。人間として成長したというか。でもその瞬間、突然宗教的になったわけじゃない。そうじゃないと思う。

リード: 川渡りのエピソードが最も重要な物語と言えるだろうね。今思い返してみて 、君がなぜやって来たのかという問いについて、カントリーが君を呼んだっていうことを、どう考えている?ジミーは正しかったと思う?

保苅: —その言葉と格闘していますね。そうとしか言いようがない。その言葉を僕が無視することができなくなっているっていうことは、100パーセント確かなことです。それはいつだって僕に問いかけてくるんです。「お前は一体どのくらい真剣なんだって。でも、はっきりとした答えはありません。即、答えを出すことはできません。

リード: 確信できたら、と思う?

保苅: ええ、でも断っておくけどそう言ったのはジミーじいさんだけで、他のグリンジの人々はそんなことは言わなかったと思います。僕も今のところ、他 の人にカントリーが僕をここに呼んだと思うかどうか聞いてないし。

リード: 彼らもそう思うのではないかな。

保苅: そうかもしれませんね。

リード: 聞いてみたらそうかもしれないね。君の答えには役立たないだろうが。ローカルな真実の問題だから、つまりそこでは、或いは彼らにとっては真実なことが必ずしも君にとっての真実とは限らないから。真実はいくつもある。イアン、そして私が例の記事を書く際に話を聞いた人は皆極めて奥深い学者たちだが、「アボリジナルのカントリーにいる時は殆どアボリジナルになり切ってしまう、まるでずっとそこに暮らしていたかのようだ。でも他の場所へ出かけた後そう感じることはない」と言っていた。だから君が過去一年間ずっとグリンジ・カントリーに住んでいたとして、私が同じ質問をしたら、君は「勿論そうに決まってます」と答えたかもしれない。どう思う?違うかな?

保苅: どういう意味ですか?

リード: 君がグリンジ・カントリーに丸一年間ずっと暮らしていて、私がテープレコーダーを持って訪れて、「ミノ、ジミーじいさんが君がここに来たのはカントリーに呼ばれたからだって言っているが、本当だと思う?」と聞いたら、君は…

保苅: 「ええ、本当です」と言うかもしれませんね。ええ、確かに。

リード: では単に距離空間だけでも時間空間だけでもないわけだ。そこにいて一種のローカルな真実を吸収して学ぶことに関係あるのかな。そう言えるかな?

保苅: それは、ある時の真実でもありますね。ここ[キャンベラ]にいる時でも、僕は時々「それが道なんだ、それでいいんだ」って本当に信じる時があります。見方って変わります。変わるのかな、それとも二つの異なる見方が同時にあるのかな?

リード: そう言う方が正確だろう。

保苅: ええ、そう言い直せますね。

リード: 君がカントリーに戻ると、カントリーは君のことを憶えている?

保苅: ええ、カントリーは僕のことを知っていますよ、うん。

リード: それなら道半分は行っているわけだ。グリンジ・カントリーに戻った時はカントリーには心の中で挨拶する、それとも声に出して?

保苅: 声に出す時も、心の中だけの時もあります。

リード: そう。特定の先祖の精霊や聖地や歌との繋がりは?

保苅: 特定のドリーミング(祖先神)はあります。個人的に気になるドリーミングが二、三ありますね。「気になる」とはこういう言い方で良いのかな。でも特定の 聖地は必ずしもない。でも、人々がある特定のドリーミングについて語ったり、ある歌を歌ったりすると強い繋がりを感じることがあります。僕は特に気に入ってい る歌があって、そのある部分を歌うのが好きなんです。長老たちは僕がその部分が好きなのを知っていて、歌うよう促してくれる。

リード: 具体的に話せる?それとも…

保苅: いえ、秘密です。

リード: ではいたずら者の幽霊の話は?ほら、どのカントリーにも言い伝えがあるだろう。シドニーの辺りでは昔は結構取り上げられたが、「グブジャ」と呼ばれる、 要するに小人の一種というか、突然現れて悪さをして消える小妖精のような幽霊だ。単にいたずら者のこともあればかなり危険な場合もある。彼らのカントリーで捕まって しまうと、男は殺され女はレイプされることもある。

保苅: 「ブッシュ・ブラックフェラ」のことじゃないんですね?人間じゃない?

リード: 違う、違う。

保苅: ああ、カヤのことでしょう。

リード: オーストラリア南部ではユリマンとも呼ばれる。

保苅: でもカヤは犬に似た形をしている。

リード: 何に似た形?

保苅: 犬です。

リード: 本当?そうなのか。

保苅: ええ、人によってはがい骨の姿で現れるとも言うし、暗闇の中で目だけが光るのが見えるとも言うけど、人間を襲うそうです。

リード: 襲う?それ以外にも悪いことをする?

保苅: ええ、危険なんです。幽霊だけど、犬の姿だったり、がい骨の姿だったり、犬がい骨の姿だったりするんです。

リード: ミノ、カヤを見たことある?

保苅: いや、ないな。

リード: 先々見ることがあると思う?

保苅: — (沈黙)。あるだろうという答えよりは、ないだろうという答えに近いな。でも、絶対にない、とはいえない。

リード: なるほど。それで、見たことがあるという人たちをどう捉えている?

保苅: どう捉えているか?

リード: つまり彼らはカヤを見たのか、妄想していたのか、作り話なのか?どれだと思う?彼らは実際に見たのだと思う?

保苅: 時々カヤは家のドアを開けようとするんですよ。ある夜、アボリジニの人たちが、今、カヤが扉を開けようとしていると教えてくれだんです。彼らはカヤが入って来れないように、ドアノブのところを針金で厳重に縛ってましたよ。カヤについてのすごい話は、ベスティーの時代のアボリジニのコックさんの物語だな。彼はコックだったから、いつも肉の近くにいたんです。で、カヤは肉を盗む。ある晩、彼は朝食を用意しようとして早く起き過ぎちゃったんです。そこでカヤは彼を連れ去ってしまった。それから数日間、みんなで彼のことを捜しました。結局、彼は巨木のてっぺんにぶら下がって発見されたそうです。その人の名前も教えてくれて、ダーウィンにいるということだったけど、まだ会う機会がないんです。いずれ会って是非話を聞きたいですね。

リード: 木からぶら下がって発見されたものの生きていたわけだ。

保苅: ええ、無事だったそうです。命は救われたんです。

リード: 「カヤ、K-a-y-a」で間違いない?

保苅: ええ、「カヤ」です。僕の個人的な経験では、狩りの後川岸で小宴会をした時があります。その日は大変な大猟で、野生の七面鳥が二羽、カメが何匹も、そしてカンガルーも数匹獲れたので、すごい量の肉が何種類もあった。僕が行った最初の狩りだったかもしれないな。それで友人がキャンプの周りに幾つもの焚き火を焚いていたので、「なぜそんなにたくさん焚き火が必要なの?」と聞くと、「カヤが俺たちの肉を狙っているからさ。用心として焚き火を焚かないといけないんだ」ということでした。

リード: なるほど。

保苅: それにヘンリー…じゃなくてレイモンド・エヴァンズ、違うな、彼は歴史家だ。何ていう名前だっけな、レイモンド…ピーター・レイモンドだ。素晴らしい人です。彼はカヤが近くにいると、カヤが脳を刺激して頭痛がするので分かるんだそうです。それで、アスピリンをくれって言うんですよ。僕はそうした恐怖感にもアスピリンが効くのかって、びっくりしたけど。カヤについてどう思うかですか?いい質問ですねぇ。僕はカヤをリアルだと思ったんだろうか?その時はそう思わなかったですね。最初の二ヶ月くらいは、彼らのそういった体験に興味は持っていたけど、自分のリアリティの位置としては受け入れていなかった。

リード: でもその後そう捉えるようになった。

保苅: 後からそう捉えるようになりました。それでもカヤは…カヤについては確信できませんね。ドリーミングはもっと…でも、カヤもドリーミングの一種だな。もしかしたら僕の中に何らかの判断基準があるのかもしれない。今まで自覚したことなかったけど、「カヤはどう?」「じゃ、このドリーミングは?」と聞かれてみると、今言わせて貰えば、僕はアボリジニのリアリティのうちのいくつかを真剣に受け入れているし、そうでないものもありますね。

リード: そうすると、カヤはどちらのカテゴリーに入る?真剣に受け止める現実、それともそう真剣には受け止めない現実?

保苅: こう言ってもいいですよ。僕はカヤが実在することを知っています。でも、それは僕に影響を及ぼさない。別に怖くないんです。

リード: じゃあ、なんで君はカヤを見たことがないの?

保苅: 僕にとっては、グリンジの人々はどうか知りませんが、僕にとっては、カヤやそういった怪物たちは実在するけど、ピーター・リードが実在するように、客観的に実在するわけじゃないから。かといって僕の頭の中にだけ実在するわけでもない。そうじゃなくて、ある次元に実在しているんですよ、それはリアルなんです。

リード: (客観的に実在するのと頭の中にだけ実在するのと)二つの対極のどちらでもないということ?

保苅: ええ、僕は、最近になってそんな風に考えるようになったんです。グリンジ・カントリーでの体験なしではそうした考え方に辿りつかなかったでしょうね。でも今はそう感じるんです。

リード: それはいいね。

保苅: カヤは僕の頭の外側に実在しています。でも客観的に実在してるってわけじゃない。

リード: 客観的に。

保苅: そう考えると、そのリアリティと比較的簡単に関係を持つことができますね。カントリーに親しめば親しむほど、このリアリティがそこにあるとますます理解するようになりますね。

リード: その通りだね。そしてそれは、グリンジの人々がより敏感で知覚力があるからではない。そのカントリーで生まれ育ち、何年もそれらを見て慣れ親しんできたから?

保苅: 一つにはそうですね、でもそれがすべてじゃない。面白いですね。一つの解釈として、僕は当初は彼らの話を信用しなかったけど、後で信用し始めた、と言えるでしょう。でもこう言うこともできる、僕がカントリーに慣れ親しむにつれて、そのリアリティの実在を実感するようになった。そうも言えますね。微妙に違うでしょう?

リード: そうだね。イアンが言っていた通りだと思うよ。彼は当初君よりももっと不可知主義だったと思うね。君がさほど影響を受けないのは、君がその社会の、そのカントリーの一部になり切っていなかった、或いは多少距離を置いていたからだということだね。それで、ドリーミングの中でも一方では影響を受けないものもあり、他方では深く影響を受けるものもある。では、そうしたドリーミングについて、話せる範囲内で話してくれるかな。

保苅: 何らかの超自然的なリアリティについて…?

リード: カントリーのドリーミングなり、何なり。

保苅: 例えば、ジミーじいさんの教えは、大地が、カントリーが「正しい道」を示してくれるというものです。だから、トラックが路上で止まってしまったら、「あぁ、カントリーが これ以上進まないように警告しているんだな」と素直に理解し受け入れることができるんです。また、僕はヘビを見ると、それが毒蛇かもしれないという恐怖とは別に、怖れを感じます 。これは、ずっと前から気になっているドリーミングに、ジュンダガルという大蛇のドリーミングがあるからです。極めて強力なドリーミングで、主に男性だけの秘密になっている。ジ ミーじいさんが最もよく語ってくれたのがジュンダガルのドリーミングです。僕の理解する限りではジュンダガル自体は特定の種類のヘビではないけど、それ以来、ヘビを見ると僕は必 ずジュンダガルを連想してしまうんです、無意識に。これは極めて強力な存在者で細心の注意を払わなければならない、同時に自分を守らなければならない、という恐怖感を感じる。僕 はそれをとてもリアルに受け入れていて、大きな影響を受ける。他には、コンファレンスでも話したように、日本で開かれたアボリジニ絵画展のオープニングに行った時、誰かのスピーチ の最中に雨が降り出すと僕は「あぁ、レインボウ・サーペントがアボリジニ絵画と一緒に日本へやって来たんだ」と思いました。そういう風に考えるのが、リアルに受け入れるのが自然に なってきているんです。「リアルに」というのが正しい言葉なのかな、でもそれが一般的な表現ですよね。とにかくレインボウ・サーペントが絵画と共に日本を訪れている、ということを 受け入れた。そう感じたというか、そうであることを発見したんです。

Side B

Special Thanks to Peter Read and Kyoko Uchida